「っぎゃああああああぁぁぁっ!」

噛まれた痛みで、レモンバームは絶叫した。
生まれ持った茶色い羽をばたつかせ、必死に足にしがみついている
ハティールを引き剥がそうと暴れた。

…が、幼い鳥の獣人の体力が続くはずも無く。羽はついに羽ばたく事を忘れ…

 

2人は、森の中に真っ逆さまに落ちて行った。

 

 

 S c o l d . . . 2

 

 

「うわぁっ!!」

俺はでかい木の根元に派手に尻餅をついた。尻も痛いけど、今俺の左足に
しがみついて一緒に落ちてきたこいつに噛まれた足も痛い。

でも痛いがどうとか、そんな事は問題じゃなかった。こいつを森に落とそうと
思ったのに、こいつ…ハティールのせいで俺まで一緒に落ちてしまったんだから!
踏んだり蹴ったりだ。よりによって、俺の両親を殺したこいつと一緒にだ。

今、こいつが起きる前に俺がさっさと飛んで戻れば、なんとか門が閉まるまでには
間に合うかもしれない。そうだ。さっさと戻らないと。森にいたまんま夜になって、
暴れる森の上に黒竜なんかに出くわしたら、俺に命は無い。
冗談じゃない。俺は起きあがろうとした。

…が、間の悪い事に、足元で倒れていたハティールが起きあがった。

ハティールは先ず、目の前にいる俺の顔を見た。(包帯があっても見えるらしい)
それから、回りの木とか草を見て…
さらに上を見上げて…
最後に、俺の足を見た。自らの歯の跡がくっきり残って、血が溢れ出している傷口を。

「うわぁ!ごめんっ…!」

ハティールはかなり慌てていた。しかも青ざめていた。バジリスクの獣人の、緑色で
蛇っぽい皮膚だから、青ざめているかはよくわからないけど、そういう感じに
なっていた。声にはかなり絶望が織り交ぜてあった。

「ったくなんて事してくれたんだよ!どうしてくれるんだ!このまま夜になったら……ん……?」

俺は声を荒げて言った…が、どうも、回りの景色がぼけている事に
気がついた。しかも、どことなく気分が悪い。吐き気がする。いや、こんな奴と一緒
なんだから気分がいいわけ無いんだけど、何か、眠く…

ハティールの方はと言えば、すごい勢いでそこらへんの草を毟っていた。
なんでそんな事してんだよ。こっちは怒ってるんだよ…でも…眠い…

「これ!薬草!早く、傷口に付けて!」

何を毟っているかと思えば薬草だったのか。…待った、何で薬草?
俺はとりあえず、言われた通り薬草の葉の汁を傷口に塗った。
待てよ、これ本当に薬草なのか…ハティールはまだ慌てていた。

「ぼ、僕の牙、即効性の猛毒が…あって…ごめん…本当に…あの……」

はぁ?!俺は普通にびっくりした。だからそんなに慌てて絶望してたのか、とか
冷静な事考えてる場合じゃない。何それ、俺、死ぬの?
死んでしまう恐怖よりは、目の前の蛇野郎への怒りが心に沸く。

「おまっ…!なんて事してくれたんだよ、本当に!死んだらどうすんだ!」

俺はかなり本気で怒鳴った。さらに気分が悪くなったけど。
ハティールはかなり慌てながら、下を向いて「ごめん…ごめん…」と言いつつ
…泣き始めた。目に巻いてある包帯が、湿ってきている。

そんな、泣かれても困る。俺はどうすりゃいいんだよ。しかも、眠気が
ぶりかえしてきた。やばい、どうにかしないと俺死んじゃうかも…
わずか9年で死ぬなんて冗談じゃない。勿論このままここにいたら、暴れる森に
殺されるだろうけど、まさか、俺まで両親の二の舞なんて。
ふざけんな、この蛇野郎…

俺がまさに眠りそうになっている前で、ハティールは…驚いた事に、今度は自分の牙で
自分の…蛇の皮膚、左腕をがぶっと噛み破いた。

何してんだよ、こいつ?!俺はまたびっくりして、少し眠気が飛んだ。
まさか、俺を殺しちゃうお詫びに自分も死のうってわけじゃないよな?!

「えと…あの…僕の血…毒の抗体があるから……ひっく、
こ、…これ付けておけば大丈夫だと…思う…」

泣きながら、腕から血を流しながら、ハティールが言った。

俺は一瞬、こんな奴の血なんかつけられるかよ、と思ったが、命を捨てるぐらいなら
血をつけた方が格段にマシだ、と思い、大人しくハティールが傷口に
血を塗るのを見ていた。蛇の血も赤いんだなぁなんて考えながら。

ハティールは俺を休ませて、俺の足の傷口と、自分で噛み破いた腕をさっきの
薬草で止血した。…なんでこいつ、こんな事できるんだろう。
俺はと言えば、だんだん気分が良くなってきた。抗体があるってのは本当だったらしい。
それにしても、猛毒の牙に石化させる目…なんて化け物だよ、こいつは。

そうこうしてるうちに、空がどんどん暗く…もう、夜になってきているのに気がついた。

「…おい!やばいぞ、森が暴れ出す!」

毒とかなんとかで、飛んで逃げるのを忘れてた!なんてこった、毒からは
助かっても暴れる森とか黒竜に殺されてしまうかもしれない!
しかも俺は、鳥の獣人だけに鳥目なのだ。暗いとほとんど、周りが見えない。
それもこれも、みんなあいつが…

そこまで考えて、疑問符が浮かぶ。…俺が森にこいつを落とそう、なんて考えなければ
俺が毒にかかる事も、森に落ちる事も、無かったんだから。
そうだ、俺がこんな事しなければ……俺が…悪いのか…?

いや、でもこいつは俺の両親を殺した悪い奴のはずで。
…でもなんで、自分を森に落として殺そうとした奴…俺を、助けたんだ?
逆の立場だったら、俺はこいつを躊躇いなく毒死させただろう。
何せ俺は随分こいつをいじめている。向こうも自分を嫌っているだろうと思っていたのだ。
そう、こいつは俺を泣きながら助けて…

色々と考えて混乱し始めた頃、方角を調べにちょっと離れた
所にいたハティールが走って帰ってきた。

「た、多分もう門は閉められちゃったよね…でも戻らないと…」

ハティールが呟いた。

その時、俺の脇にあった細い木が、ぎぎぎ…と音を立てて、…動き始めた。
まずい、ついに森が暴れ出す!俺はこんな所でこんな奴と臨終しちゃうのか?!
毒は中和された物の、噛まれた足はまだ痛くて、立つ事ができない…

「乗って!」

ハティールが、おぶされ、と俺に背を向けた。
また、こんな奴に頼れるか、と思ったが、しょうがなく俺はハティールにしがみ
ついた。と言っても俺は鳥の獣人だから、腕自体が翼になっていて、うまく
しがみついていられないけど。

おぶさった瞬間。森中の木がうめきだした。ぎぎぎ…と鳴り、木の枝が、
根が、葉が、実が…全てが動いている。なんだ、暴れる森ってこんな程度か…と
思った瞬間、樹木や葉の全てが、物凄いスピードで襲ってきた。

「っぎゃぁ!」

俺は思わず叫んだ。怖い。押し潰されてしまう!

ところが、俺を背負ったハティールは楽々と襲ってくる枝やら根を避けて、
悠々と走り出した。驚いた。何でこいつはこんなに慣れてるんだ!
いつも殴られれば黙って立ってるだけなのに、こんなに俊敏だとは…。
俺は振り落とされそうになりつつ、しっかりハティールにつかまった。

「おいっ…道、わかるのかよ?!」

ハティールは怖忙しくて喋れないかもしれないが、聞いてみた。
こんな襲ってくる樹木の中、道に迷ったら大変だと思ったからだ。

「わかるよ。こっちが門だ」

普通の返答が返って来た。なんだってこいつは暴れ出す森に身動ぎも
しないんだか…俺はもう、気がどうにかしてしまいそうなのに。

「何でだよ?!根拠は?!森に入った事あるのか?」

「あるよ。止まってる時の森なら、隅々までわかるよ…」

「?!子供はエーフバロット立入り禁止だろ…!」

そう、この森は昼間の安全な時でも子供は入ってはいけない決まりなんだ。
俺だって、何度侵入を試みては失敗した事か…

「…だって、食べ物自分で狩らないと生きていけないじゃん。大人の人達が捕った物…
僕だけは、分けてもらえないでしょ?」

右から枝を振り下ろしてきたグロウメアの樹をかわしながら、ハティールが言った。

…あ、そうか…。そうだ。こいつはこういう環境で生きてるんだった。
今の質問は、無神経だったかもしれない。

って、こいつは俺の両親を殺した悪い奴のはずだろ?!

そう、悪い奴の………  悪い奴……?

俺は無意識に、俺の左足を持ってるハティールの左腕を見た。
さっき、俺を助ける為に自分で噛んだ腕だ。 
暴れ出した森を避けて、激しい運動をしたせいで、傷口が開いて
流血している。でも、ハティールは気にせず走っていた。

…こいつ、本当に悪い奴なのか?

ついには、そんな疑問まで沸いた。
…いや、俺の両親を殺したお詫びのつもりかもしれない。

そうだ、そうに違い無い!
…途端に虚しい気持ちがどっと押し寄せる。
お詫びでここまでできるか?お詫びで自分の腕を犠牲にする?
もう善悪の定義さえ、訳がわからなくなってしまった。

何が悪いんだ?
…大体、俺の両親を殺した時のこいつはまだ自分が何をしているかもわからない
赤ん坊で、それなのに生まれ持った能力のせいで望まない殺人をした事になる。
大人は何故かそれに気がつかない… …こいつは悪い奴なのか?
…本当に悪いのはこいつが望まずに手にいれた能力を受け入れない大人達じゃないのか?
子供の俺にはそこまでしか考えが及ばない。

…考えていて、悲しくなってきた。
なんだってこいつはこんな恐ろしい能力を持って生まれたんだろう。
こんなに、優しいのに。
なんだって大人達は誰もそれに気がつかないんだろう。
怒鳴るか、追い返すしかやっていないから?
俺が今までやってきた事はこいつを傷つけたんだろうか?
…だとしたら、謝りたい。

そんな気持ちがしばらく俺の心を支配する。

 

やがて、ハティールは走るのをやめて、小さな洞窟の中に俺を降ろした。

「何時間か、休もう…こんな森の中を走ってたら…体力が、持たない…」

俺に向かって、呟くように言った。ハティールの息は荒く、汗をかいていた。
左腕は相変わらず流血している。ハティールはあらかじめ摘んで持っていたらしい
薬草を使ってまた止血した。そして、俺から離れた所に
腰を下ろし、下を向いた。

「…この洞窟は、安全なのか?」

「…うん…この森の植物は…夜になったら暴れ出すけど、土と岩だけは暴れないんだ…
この洞窟は岩だから、多分…、大丈夫…」

ハティールの声は、少し不安が混じっていた。

「やけに知ってんな…暴れた時の森にも、入った事あんのか?」

そんな事聞いてる場合じゃないけど、好奇心から言ってしまった。

「…うん。4歳の時…誰だったか忘れたけど、閉じ込められた…
死ぬかと思ったよ」

なんだ、こいつはこういう緊急事態はとっくに経験していたわけだ。
だったら何でこいつに、森を怖がる理由があるんだろう。俺を噛んだのは
恐怖からじゃないんだろうか。

「…よく生きてたな」

またつい、口が滑った。なんだって俺は知りたがりなんだか。

「その時も、こういう洞窟をみつけて…なんとか…。
…でも、今は黒竜がいる…助かるかどうか、わかんないよ」

ハティールの声には、絶望が混じっていた。

「黒竜は…やだ…前、黒竜が退治される前で…殺されるかと思った…
嫌だ…また出くわさなければ…いいんだけど…」

至極小さな声だったけど、聞き取る事ができた。
こいつは…黒竜が怖いのか。俺なんかは森に入れないから、大人たちが
恐ろしい恐ろしい言ってる黒竜なんか見た事も無くて、怖いと思った事も無いのに。
同じ村に生まれて育ったのに、こいつと俺は随分違う環境に生きている。

外で暴れている木々がぶつかり合う音だけが響いた。
月明かりで、鳥目の俺も多少はあたりが見えた。…満月。なんてこった、
満月は黒竜の活動が活発になる日じゃんか、確か。

「あの…脚、大丈夫?」

突然ハティールに話しかけられて、俺はびっくりした。

「…あ、…大丈夫…だ、多分」

「…良かった…ごめんね…」

なんでこいつが謝るんだ。…ついにそんな疑問も浮かんできて、俺は
正直驚いた。おかしい…ついさっきまで、こいつなんか大嫌いだったのに。

「お前こそ、大丈夫かよ…腕」

そんな言葉が口をついて飛び出した。これにも、自分で驚いてしまった。

「…僕は…大丈夫………」

弱弱しい声。休んでいるのに、ハティールはちっとも息が戻らず、汗を
かいていた。…血を流しすぎたんだろう。

多少脚に痛みは走ったが、俺はサッと立ちあがると、自分の着ている服の一部を
ビリビリと引き破いて…いびつな形の布を、ハティールの左腕に巻きつけた。

無意識。そうとしか思えなかった。こんなに自分の行動に驚いたのは久しぶりだ。
さっきの思考が、まだ頭に残っていたのかもしれない。

俺もびっくりしたけどハティールはもっとびっくりしていた。目が隠れているわけだから
表情はよくわからないけど、かなりびっくりした様子で、言葉も無く
俺が布を巻くのを眺めていた。

「…あ、…ありがとう……。」

 

ハティールがそう言ってる途中か、言い終えた後か。ものすごい轟音が
近くで鳴り響いたかと思えば…

俺達が休んでいた岩の洞窟が、瞬間的に破壊された。

俺もハティールも石つぶてを浴びたけど、なんとか乗りきり…ハティールの
行動が素早かったおかげだろう…

洞窟を脱出した俺達は…
岩の洞窟を砕いた張本人を、真正面から見上げる事になった。

月明かりに照らされ、黒く光る鱗。
悪魔を思わせるような、漆黒の翼。
森の木の高さをゆうゆうと超す巨体。
そして…真紅の目。

 

ハティールが怯えている。俺もかなり怖い。

 

 

…黒竜だ!!

 

 

 

 

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